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町内会叢書第四輯

町内会の使命

部落会町内会等の使命

内務省地方局振興課長
岡本 茂氏

 それでは只今から正午頃まで、下部組織の使命と云ふことを中心にお話を申上げたいと思ひます。昨年の九月十一日に内務省の訓令第十七號を以ちまして、部落会町内会、隣保班、市町村常会等の整備を地方庁に要望致したのでありますが、訓令を出しましてから後に於きまする地方の整備状況は、先程も概言致しましたやうに極めて急速に組織活動が展開されて参つたのでありまして、発令後三ケ月にも達しない本年の一月一日現在の統計に依りますと、其の時期迄に整備を完了致しました部落会、町内会の総数は十九万九千七百四十六と云ふ数字に達したのであります。又隣保班に至りましては百十三万八千九百三十四と云ふ多数が整備を完結したのであります。又市町村常会では整備を了しましたものが一万七百六十八と云ふやうな数字を示して居るのであります。整備の割合から申上げますると、部落会、町内会に於きましては九十六「パーセント」四と云ふ高率であります。隣保班に於きましては九十一「パーセント」四と云ふ整備率であり、市町村常会に至りましては九十六「パーセント」と云ふやうな極めて良い成績を收め得たのであります。

 斯様に非常に広汎な組織と云ふものが、迅速に整備を見ましたのは、そこに整備が急速に完結すべき素地が十分培はれて居つたと云ふ事や、或は此時局の熾烈な要求が一層之を促進したと云ふやうなことが、大きな原因と思はれるのでありますが、併ながら一面各地に於ける官民、朝野一体の御協力に依る賜であると云ふ風に考へているのであります。先程も一言致しましたやうに、整備のことは概ね了しましたが、今後は専ら運営の方面に力を注いで行かなければならないのであります。此の事に付きましては、其方面に専ら従事して之を指導して行く責任を持つて居られます各位の御力添へに俟つの外はないと思ふのであります。どうか今後此の機構と云ふものを、十分活かし得るやうに御指導を御願ひ致したいと思ふのであります。

 是から私のお話は大体四段に分けて進めて参りたいと思ひます。第一段に於きましては、部落会、町内会等の整備の歴史的意義と云ふことに付て説明をしたいと思ひます。

 どうして部落会、町内会或は隣保班と云ふものが整備されなければならなかつたか、どう云ふ訳で斯う云ふものが生れて来たのであるかと云ふことでありますが、是は端的に申上げますると、現在の市制町村制の足らざる所を補ふ爲めに、必然的に生れ出て来たものであると云ふ風に思ふのであります。随つて何故に此部落会、町内会或は隣組と云ふものが生れて来、且つ整備をされなければならなかつたかと云ふことに付きまして説明致します爲めには、現行の市町村制と云ふものゝ制定から発展に至る所の過程を顧み、又其根抵を成して居ります所の思想的背景と云ふものを一瞥して見る必要がある訳であります。

 現在の自治制の根幹をなして居ります市制町村制と云ふものは、明治二十二年の四月十七日に施行を見まして、それからずつと五十有餘年の間施行せられ、今日に及んだのであります。此市制町村制の実施五十年の歴史と云ふものは、思想的に之を見ますると、自由主義、個人主義の旺盛な時代であつたと云ふ風に考へられるのであります。獨り自治制だけではないと思ふのでありますが、明治から大正に至ります所の諸々の制度文物と云ふものは、総て此明治以後に我が国に流入し、発展して参りました自由主義、個人主義と云ふものゝ基礎の上に立つて居るのであります。維新直後憲法の制定以前に民権自由と云ふやうなことが都鄙に喧伝せられまして、今日の政党なんかも此思想に促かされて発足を見て参つたのであります。それからずつと明治の前期並に大正時代を通じまして、自由主義、個人主義の思想と云ふものは盛んに行はれて来た、さうして明治の末期から大正にかけましては、それが最高潮に達したのであります。自由主義、個人主義と云ふことは明治より大正を通じまして、明治の末期から大正に至る時代に最高度の発展を遂げたと考へられるのであります。併しながら満州事変の勃発頃を契機と致しまして此最高度に達しました自由主義、個人主義の思想と云ふものは、行詰りを生じまして、茲に轉換せざるを得ないと云ふことになつたのであります。

 此自由主義、個人主義の思想と云ふものは、明治以降のいろいろの文物制度の根柢をなしたものでありますから、同時に自治制に付きましても其の根柢となつて大きな影響を及ぼしたのであります。即ち制度的に之を見て参りますと、現在の市制町村制と云ふものは、只今申上げたやうに、明治二十二年四月十七日に施行を見たのでありますが、此制定に当りまして草案を起草致しましたのはドイツ人のモツセと云ふ人であります。内閣のお雇のモツセと云ふドイツ人がプロシヤの自治制を母法と致しまして、さうして之れに我が国の習慣を取入れまして拵へ上げられたのが今の市制町村制であります。

 所が此モツセが起草致しまする前に、別に日本人の手に依つて、市町村法と云ふものが起案せられて居つたのであります。内務省の村田大書記官の手に依りまして市町村法と云ふものが立案を了して居つた、さうして市町村法の中には、我が国の古来からの五人組の如き制度、今日の隣保組織或は部落会、町内会、隣保班、此の組織の前驅をなして居ります所の五人組制度の如きも村田書記官の起草致しました市町村法の中にはちやんと取入れてあつたのであります。併ながら愈々法律となつて市制町村制を出す時に決定を見ましたのは、モツセの起草にかゝるものでありまして、日本人の起草にかゝる此市町村法と云ふものは廃棄の運命を見たのであります。斯様に既に出発に於てプロシヤの制度を模倣した、併ながら是は当時之れに参画した人々の説明に依りますると、日本古来の隣保協同の精神と云ふやうなものは、是は其中に十分取入れてあるのだ、只形を外国の成法に倣つたに過ぎないのだと云ふやうな説明をして居るのであります。併ながら果して全くの形だけに止まつて居るかと云ひますと、是は矢張り直ちにさうだと云ふことは首肯出来ないのではないかと云ふ風に考へられるのであります。

 今の自治制の制定に最も力を致したのは、内務大臣の山縣有朋公でありますが、山縣有朋公は、後に此市制町村制の制定当時のことを回顧せられまして、日本古来の隣保精神と云ふやうなものも、固より大事である、併ながら我が国も、明治二十二年ともなつて、欧米の先進文明国と肩を比べて一緒にやると云ふ時代にもなれば、矢張り形は西洋の法律と云ふものを採用して来なければいけなかつたのだ、そこで明文上最も良く出来て居つた所のドイツの法制に倣つて日本の自治制を布いたのだと、斯う云ふ風に言つて居られるのであります。是は当時の事情としては正に已むを得なかつたことかと云ふ風に考へるのであります。併ながら其の根柢にはどうしても欧州で発達して参りました自由主義、個人主義と云ふ思想が胚胎されて居る、其の中に身籠つて居つたに違ひないと思はれるのであります。

 それから後の発展状況はどうであるかと云ふ風に見てみますると、市制町村制は現在迄に大体五回の大改正を見て居ります。第一回の改正は明治四十四年、第二回は大正十年、第三回は大正十五年、第四回は昭和四年、それから第五回は昭和十年、其外に細かい改正もありましたが、市制町村制を通じての大きな改正は此五回であります。其五回の中で特に皆さんに耳新しいのは大正十五年の普通選挙法の実施に伴ふ改正であります。此五回の改正を通じまして、日本の市制町村制の進展振りと云ひますか、其方向を眺めて見ますと、是亦自由主義、個人主義盛行の時代でありましたので、其影響を多分に受けて来て居るのであります。即ち此五回の改正の跡は、常に自治権の拡張であり、地方分権の拡大であり、公民権の伸張である、斯う云ふことを目標として度々の改正は進められて来て居る、即ち国家の羈絆から脱する、個人の権利を出来るだけ主張する、斯う云ふことが何時も改正の目標になつて居つた訳であります。

 斯様に制定の当初に於て、又其後の発展の過程に於て、通じて自由主義、個人主義の影響を受けて来て居る、隨つて又個人主義、自由主義の良い所を持つて居ると同時に、其の大きな欠陷をも最初から内包し、且つ之を増長せしめて来た、之を益々延ばして来たと云ふ風に考へる。其の大きな欠陷と云ふものは何かと云へば、即ち隣保制度と云ふものを廃止し、抹殺し、之を復活せしめない、之を抑壓して来たことであります。即ち明治二年の六月には五人組の制度と云ふものを廃止致しました。それから明治二十二年四月十七日施行の市制町村制には五人組の制度或は部落の制度と云ふものを遂に取入れなかつた、市制町村制から之を抹殺して仕舞つた、其後も斯様な隣保共同と云ふことに依る社会の発展と云ふことは出来るだけ抑へると云ふことにして来た、部落と云ふものを抑へる、部落なんと云ふものを認めないと云ふやり方を採つて来て居つた。併ながら之れではやつて行けない、詰り隣保制度を廃止した爲めに生じた障碍は何かと云へば、之を二つに分けて考へられる、一つは自治の振興を阻碍したと云ふことであります。自治と云ふことは、是は銘々の生活を銘々が納得づくで高めて行く、斯う云ふことなんですから、是は隣人が相倚り相扶けると云ふことが其発足點でなければならぬ。さうして更に市町村の如き大きな団体に至る迄の間に、部落であるとか、町内であるとか云ふ所の小さな社会と云ふものを構成して、其所でも互ひに相結んで行くと云ふやうなことでなければ本当の自治の発展と云ふことは期し得ない。イキナリ市町村と云ふ大きな団体を作つて、其所で良くせよと云つても中々無理である、だから隣人が相扶けると云ふ即ち隣保共同の精神を拡張し、近隣が相結ぶ、斯う云ふものを先づ単位として認めて行かなければならぬ、是は自然に発達して来るものであります。之を認めて行かなければならぬ、更に市町村の各部落である、町である、町内と云ふものゝ団結を認めて行かなければ本当の自治の振興を期する訳には往かない、後に教化運動をやつて此徹底を期しやうとしても、市町村と云ふ単位では出来ない、或は農村が大正末期に疲弊を極めた、さうして之を更生しやうと致しましても、市町村と云ふものを単位としては到底経済復興は出来ない、或は部落と云ふものが一つになつて組合つてお互ひに助け合つてやらなければ経済更生がやれない、其他自治に關するお互ひの生活に關する諸々の事が市町村と云ふ大きな単位、大きな団体では出来ない、即ち隣保共同精神と云ふものを中心根幹とする自然社会と云ふものを認めて、之を発展せしめるのでなければ到底自治の振興は期し難い、此隣保制度と云ふものは、明治政府が抹殺し、更に其後に於ても之を廃滅せしめると云ふ方針を執つて居る、そこに自治振興の大きな妨げをなす原因を生んで来た訳であります。

 もう一つの短所は、国の行政の透徹を困難にしたと云ふことであります。今は自治の振興に此隣保制度を認めなかつたから非常に都合が悪かつたと申しましたが、国家行政の上から見ましても、是が同じことが云へるのであります。国の行政組織と云ふものから考へますると、国と云ふ一番大きな組織、大きな網、それから道府縣と云ふ中頃の網、それから市町村と云ふ小さな網、斯う云ふ三段階の網になつて居りまするが、此一番下の網と云ふものは市町村である、非常に区域の広大な、さうして隣保相結び得るには相應しくない大きな組織、斯う云ふものであつては行政は隅々まで徹底することが出来ない、どうしても其所にもつと細かい網を作つて行かなければ、即ち部落なり町内なりと云ふものに、もう一つ行政組織の網を張つて行かなければならぬ。更に最末端に於きましては隣近所が相結ぶと云ふやうな詰り毛細管に比すべき小さな網を作つて行かなければならぬ。さう云ふやうな上から下まで幾つかの大きな網から小さい網まで整うて始めて国の行政が津々浦々の隅々まで徹底し得るのであります。併ながら隣保制度と云ふものを破壞した爲めに、従前は市町村から直ちに国民に伝達すると云ふやうな形で徹底することは出来なかつた訳であります。例へば地方長官会議をやりまして、国の方針を授けましても、地方長官は歸りまして年に一回か市町村長会を開き、さうして市町村長に伝へる、市町村長は其所で幾多指示事項や訓示事項を貰つて歸つた所で伝達の仕様がない、掲示場に吊下げて居るか或は棚の上に放り上げて置いて埃にまみれさすのが落ちであると云ふことが今迄の実情であつた、斯様なことでは国政が隈なく徹底しては行かない。眞に国政を透徹し行政の貫徹を期する爲めには、更に市町村以下に細かな組織を持たなければならぬと云ふことになつた。斯様なことで明治維新以後に於ける我が自治制は、発展は致しましたが、大きな所に欠陷があつた、それが自治の振興も妨げ、又国政の透徹をも困難ならしめて居つた訳であります。今日の如き時勢になりましてはどうしても斯様な状態ではやつて行けない、そこで此失はれた隣保制度と云ふものを復活致しまして、地方自治の振興を計りますと共に、国政の貫徹を期すると云ふことで起つて参りましたのが部落会、町内会、隣組と云ふ此組織である、是は明治以後に於ける自治制の中に包蔵して居りました所の欠陷と云ふものを是正し補ふ爲めに、必然的に生れ出て参つた所産であると云ふ風に考へる、其所産に對して統一ある方針を与へると云ふことが内務省の訓令を発布された訳であります。

 次に第二段に於きましては、此部落会、町内会、隣保班等の沿革に付て一瞥して見たいと思ひますが、是は固より厳密な意味では、部落会、町内会、隣組にそれぞれ先祖があるといふやうなことは云へないかと思ふのであります。ひつくるめては其隣保制度と云ひますか、隣保共同の精神に依つて培はれて参りました自然的な社会構成の発展の歴史と云ふやうな事なら云ひ得ると思ふのであります。一應それぞれ構成や機能の似たやうな組織の歴史を振返つて見たいと思ひます。先づ部落の沿革でありますが、是は最も古いものだと思ふのであります。人が集つて居れば其所に聚落を形成する、さうして其所で衣食の資を作つて自給自足して行く、さう云ふのが自然であるから、最も早く部落といふものは出来たに相違ない、相集つて聚落をする、そこに日本は家族国家でありまするから、自然に隣保共同の精神と云ふものは流れて出ます、其隣保共同の精神に依つて、其部落の住民達は互いに確かりと結び付合ふ、其所で一つの部落は一個の自然的社会として組織される、組織といふ言葉は持たぬけれども、確かりと組合つて来る、随つて是は自然村として部落と云ふものは早くから発達して居つたやうに考へる、それを更に此発達を助けたもの、此自然社会の結成を更に鞏固に致しましたものは、戦国時代以後特に徳川時代の農村安定政策、農民を領主と切離して、領の動きと切離して農民は其住所に固着せしめる、大名が轉封致しましたら大名の家臣は附いて行きまするが、百姓は附いて行かない、部落と云ふものに固定さすと云ふ政策を執つて参りました。此農村固定化政策と云ふものに裏附けられまして、部落と云ふものは更に確かりした結び付きになつて参りました。非常な鞏固な組織になつて、さうして明治にまで持越して来た、さういふ訳でありますから明治政府が部落を抹殺しやうと致しましても実質上は中々抹殺出来ない、今日迄実際に生きた結晶体と云ひますか、小さな自然社会として発展して来て居つたのであります。

 次に町内会でありますが、町内会の濫觴と云つても甚だむづかしいのでありますが、いろいろ考へられると思ひますが、古い所で求めますと室町時代以後に於ける組町といふ制度が其濫觴と見られるのでないかと思ひます。或は之に先立ち鎌倉時代のいろいろな講、觀音講、伊勢講、念佛講と云ふやうないろいろな講がありました。或るものは宗教的目的、或るものは経済的目的を持つと云ふやうに、いろいろな目的は違つて居つたが、其講の中の市街地に発達致しました講が今日の此町内会邊りの前身だと云へば云ひ得るのではないかと思ひます。厳密な意味で其御先祖だと断言は出来ないかと思ひますが、明治以後に就て申しますと、是は親睦団体として町内会へ入つて参ります。今でも各所に殘つて居ると思ひますが、睦会と名を付けて居る、其名前で知られるやうに、専ら親睦団体として発達して参つたのであります。それから又自衛団体の性質をも持つて居つたのであります。それが時代の変遷に伴なつていろいろな行政的な使命を帶びて来る、詰り市町村行政の補助的な役割をも町内会が務める、殊に大都市に於きましては、此大都市の住民と云ふものは御承知の通り全く離合集散常ないものでありますが、其の生活と云ふものは寔に索漠たる潤ひのない生活でありますが爲めに、それに潤ひを持たすと云ふためには、矢張り此近所が組んで、いろいろ共同化して行かなければならないと云ふやうな要望が起つて来て、近年は大都市に於きましてもどんどん出来つゝある状態であります。

 次に隣保班でありますが、隣保班に付て云ひますと唐の五保制度と云ふのが其の起りをなして居るのではないかと思ふ、是は五戸の家を以て一保を構成して、保長を置いて相警め合ふと云ふ制度を唐が拵へました。其保は行政区劃から見ても一番下のものである、州、府縣郷、里、坊、村さう云ふ行政区劃の最下位の組織をして居つた、それが孝徳天皇の白雉三年四月に日本に取入れられまして日本に五保の制と云ふものが布かれた、さうして大寶律令、養老律令と云ふやうなもので修正を見たのであります。是は後に衰へました。其の後慶長の頃になりまして五人組或は十人組と云ふものが出来ました。これが初めて歴史の上に見えたのは慶長二年三月七日に、豊臣秀吉が出した掟書であります。それに依りますと辻斬、掏摸、盗賊を防止する爲めに侍は五人、下人は十人互ひに組合を作つて相檢察しやうと云ふことを書いて居る、さうして五奉行の判が押してある、是が五人組の起りである、其後徳川幕府では五人組と云ふものを制度化致しまして、寛永年間から寛文年間に入りましては、是が制度上最も完備した時代だと云はれて居るのであります。

 斯様な訳で今日の部落会、町内会、隣保班と云ふものは、是は一朝一夕に生れた訳でないので、既に前身は昔から日本では持つて居る、部落会にしても町内会にしても、隣組にしても前身は既に古来我が国は持つて居る、さうして中心に備はれる精神は隣保共同の精神である。長く斯う云ふ制度と云ひますか、昔から慣習としてあつた、さう云ふ組織が出来上つて居つた、だからこそ是は中々明治政府に於て廃滅しやうとしても、実質上は廃滅出来なかつた、併しながら明治の政策と、それから個人主義、自由主義の盛行とに依つて一時は抑壓せられて衰頽を見たのであります。併ながら近頃になつて自治を振興しやう、農村の経済更生を計らうとか、或は教化運動の徹底を期するとか、選挙肅正をやらふとしても、今迄の組織ではいかぬので、どうしても元の隣保制度を復活して貰はなければならぬと云ふので、各地に此組織が出来つゝあつた、特に最近事変発生以後に於きましては或は銃後の後援であるとか、或はお互ひの生活の刷新であるとか、或は食糧の増産、或は消費の節約、切符制度の実施、斯う云ふやうな事柄をやるには、どうしても市町村と云ふ組織だけでは参つてはいけないと云ふので、隣保組織が続々各地に出来つゝあつたのであります。さうして内務省の訓令を出します前年の昭和十四年の十二月末の統計では十九万一千三百六十六と云ふ町内会、部落会、隣保班が既に全国に出来て居つたのであります。沿革は此程度に致しまして、次に第三に制度の目的であります。

 斯う云ふ風にどうしても自治の振興を図り、国政の貫徹を期する爲めには、従来の組織では不充分である、日本古来の隣保組織と云ふものを再び生かして来るのでなければやれないと云ふことが分つて、各地に自然発生的に之等の組織が出来て参つた、併ながら全国を見渡して見ますと、各地に夫々異つた動機や目的に依つて、即ち或は農村の経済更生運動をやる爲めに、或は教化の徹底の爲に、或は精動の実践網として発達して参つたので、その組織や機能も区々で、其軏を一にして居ないのであります。斯様な状態でありますからそれ等の組織をして十分なる効果を発揚せしめる爲めには之れに統一ある方針を与へ明確な任務、使命と云ふものを授けなければならぬと云ふことになり、内務省では昨年九月十一日に訓令第十七號を出したと云ふことになるのであります。そこで最後に第四段と致しまして目的について申し上げます。

 部落会、町内会、隣保班等の使命、目的、任務でありますが、整備前に於きまする状況は、各地に於て其発展の動機と云ふものが区々でありましたが爲めに、目的、使命も軏を一にせず統一を欠いて居りましたので、訓令には其目的をはつきり示した訳であります。訓令に於て目的を示すにつきましては、現在の国家的要求の下に於て、最小限度何れだけのことが必要であるか、此下部組織と云ふものは、現在の国家要求に於てどれだけのことがギリギリ一杯必要であるかと云ふことを基礎にして考へまして、四つの目的を与へたのであります。此四つの使命、任務に付きましては、是は各位が能く御存知のことゝ思ふのでありますが復習のつもりで繰返して見たいと思ひます。

 其第一には斯う云ふ風に云つて居ります、隣保団結の精神に基き市町村住民を組織結合し万民翼賛の本旨に則り地方共同の任務を遂行すること、斯う云ふ風に示して居ります。是は此下部組織の基本精神と云ふものと、それから本質的な使命を示したものであります。基本精神は隣保共同の精神である、隣保共同の精神と云ふのは、我が国民が昔から持つて居つた最も良い所の精神であります。最も良い風習である、此精神を飽迄生かして行き、それを中心として地方を組織結合する、斯う云ふことであります。それから本質的な目的は万民翼賛の本旨に依つて地方共同の事務を行ふことであります。万民翼賛と云ふことは陛下の大御業をお翼けまひらすと云ふことであります。陛下の大御業を翼賛し奉る精神で自治事務をやつて行くと云ふことが本質的な使命であります。お互ひが扶け合ふのでありますが、それは大君の御爲めに御国の爲にやるのである、それが万民翼賛である、お互ひが扶け合ひますが、それは個人的な利益を増進すると云ふことで団結する訳ではないので、陛下の大御業をお翼けまひらす爲めに団結する、だから部落なら部落で増産の爲めに実行組合を作つて、お互ひ確かり結合して増産のことに従事する、是は其のために増産が出来ればお互ひの懷工合は好くなるか知れない、併しお互ひの懷を好くする爲めに団結するのでない、それは時局下に於ける食糧の増産と云ふ使命を果す、国の爲めに尽すと云ふことで団結する、商売をやるのもさうである、魚にしても米にしても野菜にしても、さう云ふ物を店が売る、是はさう云ふ物の配給をやるのは是は何も己れがそれに依つて口を糊すると云ふ事だけが目的ではないので、さう云ふ風に配給の事に携はると云ふことに依つて、此経済上負はされた国家的の使命を果すと云ふことでなければならぬ、だから町内会が其切符制度の斡旋をやる、或は最近自治振興中央会で消費者組織のことを決定したのでありますが、さう云ふことで町内会で生鮮食料品の配給に付ての事務をやると致しましても、それは各々が助かるが、それは各々が国家的使命を果す、さう云ふ高い目的を以てやるのでなければいけない、さう云ふ高い所の使命を持つて居ると云ふことを御諒解願はなければならぬと思ふのであります。

 それから第二の任務でありますが、是は精神的任務と云ひますか、訓令では国民の道徳的錬成と精神的団結を図るの基礎組織たらしめることゝなつて居ります。之にも二つのことを示して居ります。即ち前段では道徳的錬成を云ひ、後段では精神的団結を謳つて居ります。其兩者の基礎組織に付きまして、道徳的錬成と云ふのは人格の陶冶、お互ひが此隣保団結することに依りまして、お互ひの人格をより高め、其人格を陶冶して行く。お互ひが結合し、且つ接触することに依りまして、お互ひが相教化し、切磋琢磨し合つて、より良い己を作り人格を向上して行く、斯ふ云ふ目的を持つて居る訳であります。二宮尊徳先生が芋コジと言はれたのも畢竟其の事であります。常会で人を集めて置いて、指導者がそれを指導すると云ふことは、丁度里芋を桶の中に入れて、一本の棒を突込んでグルグルと撹拌して居ると自然に此芋と芋とが摺れ合つて皮が剥けて綺麗な中味が出て来る、お互ひもさう云ふ風に接触し合ひ、さうして之を指導者が指導することに依つて慾の皮が剥けて美しい本然の姿が出て来る、さう云ふ目的を下部組織は持つて居る訳であります。それから後段では精神的団結を図る基礎組織たらしめることゝ云つて居りますが、是は特に説明も要るまいと思ひます。詰り隣保共同の精神に依つてお互ひが確かりと結び合ふ、近所の向ふ三軒兩隣が確かり結び付合ふと云ふことで、お互ひが最早一人のものではない、お互ひの人格と云ふものは隣組の大きさまでに拡大して仕舞ふ、詰り一家が其所まで延びて行く、更に之等の隣組と云ふものが集まつて町内会を構成する、さうして、其町内会と云ふものゝ団結と云ふものを、愈々固くして行く、其結果は更に一町内なり、一郷なりが一つになる基礎になる訳であります。更に此団結を推広めて一郡より一縣と上に及ぼし遂には一億一心の大団結を作り上げると云ふさう云ふことの基礎組織にしなければならぬと云ふのが今申上げた精神的団結を図るの基礎組織たらしめると云ふことなのであります。即ち砂が集まつて石になり、其石が積まれて壘壁を造り、それが大いなる城廓を造ると云ふ風に、漸次盛上つて行く、さうして確かりした大団結、国家的の大団結を結成致します所の基本組織にして行かなければならぬ。

 それから第三番目の使命でありますが、是は国策を汎く国民に透徹せしめ、国政万般の円滑なる運用に資すること、斯う云ふ風に云つて居りますが、是は政治乃至行政目的だと云うことが出来るのであります。今日行政と云ふことはむづかしくなつて来た、非常に複雑多岐を極めることになつて居るのであります。此複雑多岐に亙る行政の全き運営を図り、見事な実績を挙げる爲めにはどうしても政府が此際何を企てつゝあるか、又国民に何を求めつゝあるかと云ふことをハツキリ国民に理解せしめ、認識せしめまして、其協力を求めるのでなければ出来ないことである。其政府の考へて居る所を国民に知らす、国策と云ふものを徹底して行くと云ふ爲めの組織に使ふ、所謂上意下達と云ふのが此下部組織の大きな使命任務であります。同時に下情の上通と云ふことも亦大きな使命でなければならぬ、政府の行ふ所、国の行ふ所が本当に国家的目的に沿うて居るか、又国民の要望に合致するか否かと云ふことは、国民生活の実情、国民の要望が政府に手に取るが如く分つてゐなければならぬ、国民の意思と云ふものが、政府に剰す所なく反映されてゐなければ行政が実效を挙げる訳に行かない。随つて万般の国政が円滑なる運用を見る爲めにはどうしても下情が十分に上通しなければならぬ、其下情上通の任務を下部組織が負はされて居る訳であります。尚又上意下達と下情上通だけではいかない、国策の実践と云ふことも大事な目的である、国策として決定されたことが下に伝達せられ、それが徹底せられまして之を実践する、その実践の組織として十分に活用せられなければならぬ。是が第三の目的であります。

 それから終りに第四の使命目的であります、是は国民経済組織の地域的統制単位として、統制経済の遂行と国民生活の安定上必要なる機能を発揮せしめること、斯様に言つて居ります。即ち経済的の任務を示して居るのであります。御承知の通り事変以来我が国の経済と云ふものは、所謂自由主義経済から戦時統制経済、戦時計画経済に移行しつゝある訳であります。而かも此統制は日に月に強化の一途を辿つて参つて居るのであります。併ながら此統制経済の円満なる遂行を見ます爲めには、どうしても経済組織を確立しなければならぬ、経済組織の確立とそれから生産、配給、消費に亙る一貫せる計画が樹立せれてゐなければならぬ、其経済組織の単位として下部組織は重大な役割を負はされて居るのであります。此點に付ては最近のいろいろの経験をお持ちになつて居られるのでありまして、殆ど説明の必要はないと思ひます。米の配給、砂糖、マツチの配給或は木炭の配給と云ふやうなことをやる、さう云ふ配給は現在の統制経済の下に於ては計画配給である、其計画配給を完全に仕遂げます爲めにはどうしても配給の単位と云ふものが必要である、其配給の単位と云ふものは隣保班であり、町内会である。隣保班、町内会を単位と致しまして、十分活用せられることによつて統制経済は始めて円満なる遂行を見るのであります。同時に国民生活も亦安定する訳であります。是が第四の使命であります。

 時間が十分ありませぬので、意を尽すことは出来なかつたですが、大体私の講義は此程度にして置きたいと思ひます。最後に特に御願申上げて置きますことは、先程も開講式の時に縷々申上げたのでありますが、我々共は此下部組織の整備と云ふことを、日本の地方制度史上の第二の維新であると云ふ風に考へて居る。それ程大きな希望をかけて居るのであります。是は獨り我々の希望だけに止まらないのでありまして、現在の時局柄を考へますると、刻々と云つてもよい位此下部組織に對する使命なり、要望と云ふものは増大しつゝある訳であります。之れ無くしては今後の如何なる国策をも遂行は出来ない、随つて国運の発展は有り得ない、一切の国運の進歩、自治の興ると否と云ふことも殆どかゝつて此下部組織の運営如何にあると堅く信じて居るのであります。

 それに就きましては各位が飽迄も指導者として、十分の自覚と熱意とを持たれまして適切なる指導を御願ひしたいのであります。甚だ雑駁でありますが、之を以て私のお話を終ります。(終)